同じ物なのに・・・
躁の時と鬱の時とでは、同じ景色が光って見えたり、
グレイがかって見えたり~
同じピアノの音が輝いて聞こえたり、
こもって聞こえたり。
同じ、母の言葉を、聞き流せたり、
突っかかってみたり、
子どもの反抗を、さらりと受け流せたり、
こっちまでムキになってしまったり。
同じことでも、躁の時と鬱のとでは、
感じ方がまったく違う。
調子のいい時も、悪い時も、
その感情に流されずに、
物を見られるようになれたらいい。
カウンセリングを何回か受けているうちに、
そう思うようになった。
病気じゃない人もそういうことは、普通にあると思う。
結局、感情に流されずに物事の本質を
見られるようになること、
それは、皆必要なことなんだろうね。
結局、病気じゃない人も、病気の人も、
ゆるぎない自分を、目指しているんだろう。
私も皆と、同じ人生を歩いているんだ。
私は、小笠原で拾ってきた、メロディーたちが、
愛しくてたまらない。
でも、
そんな曲たちでさえ、鬱の時は、くだらない、必要のないものに、
思えてしまう。
なにしてるんだろう?私。こんなことして、なんになる?と~
でも、その時の気分でこんなに変わるのなら、
私は、つべこべ言わずに、晴れの日も、
どんなにだるいし、死にたくなっちゃうし、なきたくなるような
嵐の日も、
ただ、生きて、黙って音符を書き続け、弾き続ければいいんだ。
同じことを、続けることの中に、学ぶことがあるのだろう。
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